絵の見方についてです。
自分にとって良い絵であればそれは良い絵です。あなたを一瞬で魅了する絵こそあなたにとって大事な絵となる可能性があります。
しかし、なにか「見方について」手がかりが欲しいものです。
描く側がどう意識して描いているかを知ることでその手がかりを見つけられるかもしれません。
作家にとって「見る」とはどういうことか?
どういう意識で「見て」「描く」のか。
作家はどんな気持ちで絵に取り組んでいるのか?
洋画家中川一政の著書を集めた「中川一政全集」の第1巻の文章から引用してみます。
「見る」ということ
普通の人はただ見ているが、美術家は物の幻想を見ているのです。美術家でなくば見られぬものを見ているのです。即ち普通の人から云えば幻想を見ているのであります。
肉眼と云うのは節穴の少し上等のもので、心眼と云うのは此幻想を見る眼であります。
此幻想の世界が美術の世界。幻想なくして美術は無く、心眼なくして芸術家は無し。
この文章は、親交のあった岸田劉生の一編の詩を引用した後、結論的に述べられた言葉です。
引用された岸田劉生の詩はこちらです。
この二つの林檎を見て
君は運命の姿を思わないか
此処に二つのものがあるといふ事
その姿を見つめてゐると
君は神秘を感じないか
それは美だ、在るといふ事の美だ
美は神秘の形だ
運命に姿を与えれば実在だ
自分はこの二つの林檎を見る時に
運命の姿の様な気がする
君はこの二つの林檎が机の上に並んで在るその姿をよく見て不思議な心にならないか
君は其処に丁度人のない海岸の砂原に
生まれて間もない赤子が二人、黙って静かに遊んでゐる姿を思はないか
その静かさ美しさを思はないか
この二つの赤子の運命を思はないか
その神秘を
その運命の神秘な感じを
岸田劉生は麗子像で有名な明治末から昭和初期に活躍した洋画家です。
神秘的な作風で麗子像の微笑みは「東洋のモナリザ」とも言われます。
岸田劉生が主催した研究会に梅原龍三郎や中川一政が参加しました。
近代洋画のもっとも重要な作家たちです。