中川一政

「そうしてみると油絵というものはつまらぬものだ。子供にもかける。」

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中川一政の著書「中川一政全集」より

「そうしてみると油絵というものはつまらぬものだ。子供にもかける。」

中川一政と小杉未醒(放菴)がふらっと素人の展覧会を見に行ったとき、なかなか良く出来た子供の油絵があった。その絵を見て小杉未醒が呟いた言葉である。

中川一政は未醒のつぶやきにハッとした。一政はその理由をこう述べている。

油絵は今では誰でも簡単に購入でき使うことができる。印象派以来自然を手本に絵を描く。スタートラインは子供も大人も同じである。

かつては絵の具を自分で作ることから始め、題材も自分で創作して描かなければならなかったのである。絵の具作りもどんな絵を描くかも作家が自ら時間をかけて磨き上げたのだ。

そもそも子供には無理な世界だった。いまや同じ道具を使い、同じ自然を先生に描いているわけだ。大人が悩み筆を止めてしまう箇所も子供は何も考えずにグイグイ描いていく。

昔の盲人と象のたとえ話を思いだす。

子供は象を触る盲人のように何も考えずに触った感触のまま素直に描いていく、その純粋さと屈託のなさが絵を伸び伸びしたものに仕上げている。

しかし、大人はそうはいかない。触っているものが何であるか分析し理解し描こうとする。絵が硬くなり、筆が止まる。

自然、絵は窮屈で理屈っぽくなってしまう。子供の絵には無意識がある。

「天才はその処女作が偉大である。」と言う。処女作は無意識のうちに制作していることがおおいからだ。しかし芸術は鍛錬である。芸術は意識の領分の仕事である。無意識は鍛えられない。子供の絵は鍛えられた意識によって描かれたものではない

芸術は意識を総動員して鍛え上げることで無意識の領分まで昇華することだ。こう考えると油絵の仕事は男子一生の仕事である。

油絵の一般化は油絵が易しいものだと思わせるようになった。子供でさえ油絵の具で美しい花や風景を描く時代だ。素晴らしい事だが技術や見る事の深さが、ないがないがしろにされている。

「子供のような簡単で明確な描法の中に本質的な深さを感じてしまう事で油絵もつまらぬものだ、簡単なものだと何処かおもうところがあったのだ。」と一政は言う。

「昔の画家は技術を鍛錬する事で心を進めて行くが、今の画家は心を鍛錬する事で技術を進めて行く。」

「油絵というものがつまらなものになっても、油絵を描く心が高くなる時、近代の傾向は生きるのだ。」

一政は自分が昔の作家の部類の作家と意識している。その上で今日の油絵にメラメラ挑戦状を突きつけている気迫を感じる。この気概が中川一政という稀有の作家を生んだのだろう。

一政の絵は印象派とは違う。非常に強い意識の力で生み出されている。

時として無意識の力を借りる工夫をしながら、それらを統合し一政の芸術の域に持ち上げていく、一件力技だが合気道のように相手の力を利用して無理なく自然に仕上げている。

子どもの絵のような無邪気さとは違う。

徹底的に見る、見切ったところで一気に仕上げる。

力強いスピード感のあるタッチで描く花や風景は、一政によって再構築された芸術の中で存在する花や風景である。

-中川一政

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